起業への想い

はじめに

 

 

起業塾のWebサイトをリニューアルしました、最近はパソコンで閲覧する方よりスマートフォンやタブレットで見て下さる方の方が多くなってしまいました。

そのため、デザインを一新しスマートデバイスに対してフレンドリーなサイトに変更したのです。
写真を敢えてモノクロにしたのもデータ量を抑えて、素早い表示で目にも優しいと考えたからです(僅かな差ですけど)。

また、これまで私は独立・開業した技術士として同じ志を持つ技術士の方へ向けたコンサルティングを提供していました。しかし、その気持ちはあっても実際に行動する方は100人に一人です。1年で8回のセミナーを開催し8名の方へコンサルティングを提供しました。その内、4名は『技術士Lock-On:二次試験対策講座』の講師になって下さいました。ありがたいことです。しかし、人数から言えば決して多くはありません。
成功とは言えないでしょう。

そこで、顧客の範囲を広げることにしました。
ITツールに関して悩みを抱える士業全般、個人事業主、零細、小企業に向けてITコンサルティングを提供することにしました。
それに関しては、他のページで詳細にご説明します。

ここでは、今回のリニューアルに伴って、これまであまり書かなかった「起業」に対する私の想いをお伝え致します。こんなことを考えて起業した人間だと言うことを少しだけ知って下さい。

会社の仕事中毒だった頃

私は、昭和62年に当時は部品加工メーカーだった零細企業へ就職しました。
その企業は、商社からメーカーへ転身したばかりの企業で技術的には誇れるモノは何もありませんでした。今なら、笑い話ですが入社してすぐ私が関数電卓で三角関数の計算をやっただけで「この人の計算能力はすごい」と言われるような会社だったのです(これは冗談ではありません)。
そのため、工学部出身の私は重宝され、入社2年目の平成元年には、新工場設立プロジェクトリーダーに任命されました。
そして、そのときから仕事中毒が始まったのです。
機械加工や金属加工の知識は多少ありましたが、生産工場全体の計画や運営などは経験も知識もありません。2年の準備期間中、毎日5時間の残業をこなしながら家に帰っても工場のレイアウトや配置、機械の選定などを考えていました。
土日も当然仕事です。準備の2年で休んだ日は年間3日程度でした。

平成3年工場が出来てからは、さらに過激な仕事ぶりでした。
平日は始発・終電。
土日は始発で帰りは18時ぐらい。元旦もなにもありません。初日の出は会社の2階の窓から見ました。当時は独身でしたから、会社に泊まることも珍しくありません。
そして、納期に間に合わなければ夜中だろうが早朝だろうがかまうことなく仕事に熱中していたのです。

両親に授かった身体が丈夫だったせいで身体を壊すことはありませんでした。
また、精神的に楽観的な人間だったせいでそんな状況でも仕事を楽しむ余裕さえあったのです。
一月は720時間です(30日×24時間)。工場が完成してから4年間、私の労働時間は月400時間程度でした。工場内にあった自動運転工作機械の稼働時間が同じ400時間程度でしたから、自動機械と同じレベルで働くことができたのです。

結婚しても仕事の状態は変わらなかった

平成3年に工場ができてから、当時6名で運営していた工場は8年後平成11年には30名程度になり私の労働時間も少し減りました。とは言え土日の出勤は変わりません。夜の帰りが少し早くなった程度です。さらに、平成11年には結婚もしましたが、それでも土日出勤は変わりませんでした。

平成14年には二人目の子どもが生まれ、上の子は幼稚園に行き出しました。
それでも私の仕事ぶりは変化しませんでしたから、幼稚園の行事に参加したことはありません。子どもには「応援に行けないけど、おもちゃを買ってあげるから」と言って済ませていました。また、上の子はそれを喜んでいたのです。

しかし、下の子は少し違いました。また、そのことが結局私の考え方を換え、会社中毒だった私を起業へ向けさせたのです。

ある日家に帰ると子どもからの手紙があった

下の子が幼稚園の年長だったときです。土曜日の仕事を終らせて家に帰るとテーブルの上に子どもの字で書かれた手紙がありました。そこには「あしたは幼稚園最後の運動会です、おもちゃはいらないから応援に来て下さい」と書いてありました(もちろんひらがなです)。

妻は黙ってこちらを見ています。私は少し驚きながらふと考えました。
自分はいったい何のためにこんなに働いているのだろう。
確かに子どもには毎日僅かでも会えるけれど、幼稚園年長の運動会は明日の日曜日しかありません。明日が一生で最後の運動会です。

時計を見たら22時頃だったと思います。
妻には「これから会社へ行って朝までに明日の仕事を終らせて、運動会に向かうから」と言って、会社へ再び向かいました。納期の約束は約束です、なにが何でも完成させなければなりません。

23時頃には会社へ着いて、朝の7時に仕事は完了しました。
秋のすがすがしい朝で天気が良かったことを今でも覚えています。
朝に会社を出て家に向かうのは初めてでしたが、幼稚園の運動会も初参加でした。

それからの私は急に独立して自分の時間を自分で自由にしたいと考えるようになりました。
それから、5年のうちに技術士資格を取って、会社を辞めたのです。

何をきっかけに起業を考えるのかそれはまさに人それぞれです。
私のばあい、もしあの日子どもが私に手紙を書かなかったら今でも会社中毒の状態で仕事をしていたかもしれません。

私は、2014年に20数年務めた会社を辞め、独立しましたがその時は直ぐに失敗しています。それで、2014年中に医薬品プラント会社へ入り、品質保証とシステム管理を担当しました。ただし、そのときは副業の許可ももらいまた長く務めることはないことも話しています。その時は本も書いていました。

本当に独立したのは2016年の春です、ですからまだ1年半。まだまだ苦労は多いし軌道に乗っているとは言えません。しかし、それでも事業計画を立て、戦略を練ってこれからどうしていくかを考えると毎日ワクワクします。

ぜひ、全ての起業を目指す方へこのワクワク感を味わって欲しいと思っています。